儒教(じゅきょう)
儒教は日本では思想的な学問として伝わっています。大峰山の修行は徳を積む優婆塞修行でもありますので、影響は少なからずあるものと言えます。
孔子を始祖とする思考・信仰の体系。
紀元前の中国に興り、東アジア各国で2000年以上にわたって強い影響力を持つ。
その学問的側面から儒学、思想的側面からは名教礼教ともいう。
大成者の孔子から、孔教孔子教とも呼ぶ。
中国では、哲学・思想としては儒家思想という。

東周春秋時代、魯の孔子によって体系化され、堯・舜、文武周公の古えの君子の政治を
理想の時代として祖述し、周礼を保存する使命を背負った、仁義の道を実践し、上下秩序の弁別を唱えた。
その教団は諸子百家の一家となって儒家となり、(支配者の)徳による王道で天下を治めるべきであり、
同時代の(支配者の)武力による覇道を批判し、事実、その様に歴史が推移してきたとする徳治主義を主張した。
その儒教が漢代、国家の教学として認定された事によって成立した。
儒教は、宋代以前の「五経」を聖典としていた時代である。
宋代以降に朱子学によって国家的規模での宋明理学体系に纏め上げられていった。
宋明理学の特徴は簡潔に述べるならば、「修己治人」あるいは、『大学』にある「修身、斉家、治国、平天下」であり、
「経世済民」の教えである。
儒教を自らの行為規範にしようと、儒教を学んだり、研究したりする人のことを儒学者儒者儒生と呼ぶ

儒教の経典は『易』・『書』・『詩』・『礼』・『楽』・『春秋』の六芸(六経)である。
春秋時代になり、『詩』・『書』・『春秋』の三経の上に、『礼』・『楽』の二経が加わり、
五経になったといわれる。
『詩』・『書』・『礼』・『楽』の四教については「春秋を教うるに礼楽を以てし、
冬夏は教うるに詩書を以てす」、『礼記·王制』における「王制に曰く、楽正、四術を崇び四教を立つ。
先王の『詩』・『書』・『礼』・『楽』に順いて以て士をす」という記述がある。
孔子は老聃に次のようにいったとされる。
孔子は詩書礼楽の四教で弟子を教えたが、三千人の弟子の中で六芸に通じたのは72人のみであった

漢の武帝の時、賢良文学の士で挙げられた董仲舒は儒学を正統の学問として五経博士を設置することを献策した。
霊帝の時、諸儒を集めて五経の文字を校訂、太学の門外に石経を立てた。
このとき作られた熹平石経は183年(光和6年)に完成し、
『易経』『儀礼』『尚書』『春秋』『公羊』『魯詩』『論語』の七経からなった。

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